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マスコミ(新聞、TV等の組織)に期待可能な機能

3月4日、いわゆる郵政不正事件の第11回公判において、石井一参議院議員が証人として出廷。
閉廷間際に発言。
「私は、この裁判の結果は、検察庁の倫理・存在(意義)を問うていると思っている。検察が、公正無私で善であることを私は希望している。」
さらに、公判後の記者会見。
「あなたたちマスコミは、私を犯人扱いしてこられた。村木厚子さんも、大変つらい思いをしておられる。事実に基づかない報道を続けてこられた皆さんは、いったいこの責任をどうとるのか。情報の集め方にも問題があるのではないか」
by http://www.prop.or.jp/news/topics/2010/20100304_01.html

よい機会だと思う。マスコミ(新聞、TV等の組織)に期待可能な機能(理念ではなく)について、自分用のメモとして少し書いておきたい。

 インターネットの普及とその技術の進展は、国民の意識変化と相まって、マスコミのあり方と期待される可能性について、検証を要求し始めていると思われる。表だった議論はまだネット上に留まっているように見えるが、おそらく各新聞社やTV局も水面下では、経営上の理由も絡んで内部検証を始めているはずである。いわゆる記者クラブをめぐる議論が生まれていることも、そうした源流の渦を少なくないジャーナリストたちが意識し始めたからに他ならない。

 そこで僭越ながら、我流のマスコミ延命策を提示してみたい。

金融庁が公表した「金融・資本市場に係る制度整備について1/21」や消費者庁の集団的被害救済制度研究会の「第5回論点整理2/19」などを一例としてあげれば、経済・金融の高度な知識や法学の幅広い知識なしには、それらを読み込むことさえ不可能に近い。
それを、フリーのジャーナリストが限られた資金と人的ネットワークをフルに活用して解読しても、国民が理解可能でかつ必要な情報となって届くことにはならない恐れがあることは、十分に予見できる。

マスコミ(組織)の役割はここにあるのではないか。

1) 複数の高度な専門性に裏付けられた情報の解読、分析、コンパクト化
2) 組織内に蓄積されている膨大なデータベース(関連歴史、関連分野、関係人物)を活用した、ソースの立体的なチェック
3) 膨大なニュースソースの流れのなかでの、個々のソースの位置づけ判断の提供(関連性、優先度、主体性、立ち位置の明示化)

 この3点は、個人や少人数のグループでは十全には担保し難い機能である。The Wall Street Journalが、デジタル版において安くはない購読料であるにも関わらず、黒字を継続し得ている理由こそ、これらの機能を主力商品としたからである、と私は考える。

 この工程(機能)を必要としないニュースソースは、通信社やこれから誕生するであろう速報性だけをウリにするフリーメディア等に任せておけばよいのである。(その限りでは、新聞は日刊という形態は必然ではないかもしれない。が、発行パターンについては別途検討課題。)

 極論するならば、社会面やスポーツ面に、たんなる事実ソースを羅列したり、1~2面に、霞ヶ関界隈での記者会見や、いわゆるリーク情報を、薄っぺらな形容詞を挟み込んで作文したりする必要は、全く無いのである。上記1~3の工程を必要とする記事をスピーディに厳選して提供することが、マスコミに残された、いな期待されている機能ではあるまいか。スポーツや芸能報道であっても同様である。

 このことを踏まえるならば、購読料に対する意識を読者側も見直すことが必要だろう。紙面の賑やかさや分量に対して料金を払うのではなく、そこに至る組織的な機能を維持することの対価を払う事への深い理解が求められる。

 このような機能に対する購読者からの信頼と機能させることへの責任を両輪とするスタイル以外に、マスコミの生き延びる道はないと思われる。

 そうした意味において、新政権発足後のマスコミの混迷は、残念ながら小生の期待する方向性を共有しているとは到底見なしがたく、残念なことである。いましばらくは、各社内部の良識ある人々の試行錯誤を国民は見守ると思うが、この夏までが猶予期間ではないか。読者の劇的な変化が近づいていることにも気づくべきだろう。
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